ああ感激の同志あり

あまり歌う機会は無いのですが、世界の同志と一緒に過日歌いました。

大白蓮華5月号では、「創価学会仏」更には「今こそ学会の永遠性を確立」
と、先生の講義があります。
まだ一冊全部読めてませんが、毎回の青年の体験も感動です。

投稿させていただきお世話になった、お元気な「ポンコツ爺さん」こと「クジラさん」の掲示板も5月末で閉鎖とのこと。
閉鎖までには、謝意を述べるべく挨拶投稿はするつもりですが、色々な意味で閉鎖も良いタイミングかと思います。

更新もしていないブログですが10人位の方が様子を見に訪れてくださっています。

数年間、色々書きましたが、その時は、意味のあることと書いていたわけですが
色褪せてきました。

又、突然書きたくなる時もあるやもしれませんのでブログは解約はしませんが
ひとまず、全部リセットです。

「しがらみ」のあるリアル現場こそ、修行の場です。
人間革命、人格陶冶は、「しがらみ」のある場でしか不可能です。

先生とモスクワ大学総長(対談当時)の対談の中で
インターネットに関して対話されている部分があります。
対談本発行は2004年です。
先生の発言部分をこの色で表示します。

タイトル・・・情報化の光と影
サブタイトル・・・電脳空間にない「しがらみ」が成長の糧になる

人間が生きているという実感をもつ、最初の場が家庭です。
これはバーチャル・リアリティとは対極をなします。

縁起の世界は宿命の有限性、個別性という側面をもつことを強調しておきたいと
思います。
日本人に生まれ、ロシア人に生まれるということも
男性に生まれ、女性に生まれるということも宿命です。
有限性、個別性の世界です。

自分がどのような家庭に生まれるか、つまり親を選べないという点で
自由に名を借りた人間の恣意、エゴイズムをどこかで抑制せざるを得ないという
ファクターがそこには宿命的に内在している。

宿命性とは人間が自由に操作できない、コントロールできない、選択できない
換言すれば、己の裁量が及ばないための自己の有限性を自覚せざるを得ないしがらみを意味します。

確かにそのしがらみは時に煩わしくはあるが、反面古来から
人間の成長、人間が人間に成るためには、避けて通ることのできない
ハードルでもありました・

その点、いわゆる電脳空間には、宿命性のしがらみはほとんどありません。
バーチャル・リアリティーの世界では、誰と話そうと、
どんなサイトにアクセスしよとあるいは電源を切ってしまおうと自分のほしいまま
自由です。
好きなように都合のよいように操作しコントロールし選択できるのです。
しがらみの介在する余地はなく、したがって恣意がエゴイズムへの抑制機能は
はたらきにくい。
余程警戒していないと、現実からの逃避へと際限なくひきずられていってしまい、
その結果、人間同士での直接の打ち合いのなかでのみ可能な人格の陶冶が
なされなくなります。


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皆さま、お元気でご活躍ください。



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by f2bmag8w | 2017-04-25 22:37 | Comments(0)

「水魚の思」の団結で

先日の記事でも引用した、7月30日付聖教新聞の先生のメーセージの中から

>原田会長を中心に、油断を排し、一切の魔を打ち破る祈りと
「水魚の思」の団結で、常勝の大前進をと、念願し、メーセージを結んだ。

仲良くできる人が立派な人だ、等々、同様の指導はたくさんありますね。
もちろん、仲良くするといっても、広宣流布への誓願の同志としての仲良くですね。
ただ、単に自分にペコペコ、ヘラヘラしてくれるから仲が良いということではありませんね。
もし、なんらかの相手の今現在の問題点が見えてしまうのであれば
「成長を祈る」これが、基本中の基本ですね。
もちろん、言葉(文字)で、意見表明することは大事ですね、
それと同時に相手の成長を祈る、この祈りなくしては、実は結ばないわけです。

というわけで、ネットであれ現場であれ、自分のスタンスというか一念は
同じわけです。
遠回りなようですが、その時、その時の、意見表明は必要であったのも確かです。

というわけで、新スタートです。

又、有益と思い書きたいことがあれば、突然書くかもしれません。

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by f2bmag8w | 2016-08-31 22:56 | Comments(0)

妙法を守る

2016年7月30日付聖教新聞   全国最高協議会への先生のメーセージ(抜粋)

仏意仏勅の創価学会の使命に言及。

釈尊・そして、御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは
、学会しかない。戸田先生が「創価学会仏」と、言い切られたゆえんである。

学会を守ることが、妙法を守ることだ。

学会の永遠性を確立するのは、まさに「今この時」であり、この「地涌の本懐」を宿縁深き同志と
一緒に、断固と成し遂げていきたいと訴えた。

原田会長を中心に、油断を排し、一切の魔を打ち破る祈りと「水魚の思」の団結で、常勝の
大前進をと、念願し、メーセージを結んだ。



2008年11月23日付聖教新聞 11・18記念代表協議会での先生の指導
(23日24日25日全6頁から抜粋)

当時、学会を財政面で支えておられたのは戸田先生であった。

師匠と弟子の二人きり。誰も助けてくれない。私しかいない。

私は真剣だった。
言ったことは必ず実行した。
最初から容易にできたことなど何一つなかった。
現在の学会の驚くべき世界的な大発展も、すべては偉大なる「師匠の薫陶」と
それに応えんとする「弟子の誓願」の中から築かれてきたのである。

この厳粛な師弟を軽く見て、大変なことは人にやらせ、できあがったものの上に
あぐらをかくような幹部には絶対になってはいけない。
そうしたずるい人間を、断じて許してはならない。
将来のために強く申し上げておきたい。



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>そうしたずるい人間を、断じて許してはならない。

全会員&友人読者の目に入る聖教新聞で指導された内容であり、
一応は、最高幹部の集まる場での指導であるが、
まずは、会員であれば、役職に関係なく「この指導を自分はどう捉えるのか」という視点が大事であり、
いたずらに、悪い幹部がいるかもしれないから、叩くぞという方向へ行ってしまうのは違うのだと思う。
本当に何らかの裁定をしなくてはならないケースであれば、しかるべき措置は今までもされていたのだと
思う。
一つの例として、
結果として除名処分になった元・教学部長などは、立場を利用して重要資料の持ち出しという
事実が直接の処分理由として、あの当時発表されていた。
処分発表の後、14年間も勤行をしていなかったとか、会合に酒臭い状態でフラフラできて
教学の迷講義をしていったとか、表に出てきた。
当時入会直後の私は、「何でこんな人間を長い間大幹部に放置しておいたのか」疑問であったが
先生や身近な大先輩は厳しく指導しつつ、成長を願い広いこころで包んでいたそうだ。
しかし、それでも落ちる所まで落ちてしまった以上は致し方なく、除名となったのなだろう。

素直に学会活動をする会員を「盲目的な行動」であるとか「自分で考えない」とか
そのような目で見る、統監のある会員を自称し、学会総体を批判している方々が
おられるようであるが、2種類のパターンがあるのだが
①先生は正しいが、学会本部が悪い・それを批判しない会員も悪い。
②師匠ではないし、学会総体も間違えているが、自らは退会しない。

私もそのような方々に、一時的には関心を持ち、アプローチもしたが
最終的には、所属する現場組織の方こそが、最後の希望の砦であるだろうし
関心を持ったということは、自分の「内」にその「因」があるわけで、
紛れもなく罪障消滅させていただいた実感はある。

↑↑・・・これが、結論ですね。


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by f2bmag8w | 2016-08-27 21:24 | Comments(0)

一人を尊ぶ実践こそ平和の直道

最後の部分に
「終戦の日」に当たり、平和への誓いを新たにしたい。
それは、日蓮仏法に脈打つ生命尊厳の思想を弘め、世界の平和を実現
することだ。
その直道が、目の前の一人を大切にし、励ましを送る日々の
学会活動なのだ。

と、あります。

数ヶ月ぶりに、見てしまった惨状に、ついつい介入してしまいましたが
全てが無駄ということではありませんが、
やはり、徒労である部分が大きいです。
ネット上といえ、現実といえ、全て自分自身の「生命活動」です。
そういうものに、引き込まれてしまう自分の生命・・・

特段、まずい記事はありませんが、区切りをつける意味でも
いくつか、抹消してあります。
現在、特に、ブログで発信したいことはありません。


それでは、失礼いたします。

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8月15日夜追記

かねてから、犬猿の仲であったお二人のそれぞれの際どい記事がそれぞれ消失してしまった
以上は、同時進行で所感を綴り、かねてから関心のあるロム者だけが、同時進行で
なるほどと頷いたり、いや違うと感じたり色々であったでしょうが、
ともかく、所感そのものも時に適わなくなったのはその通りで、一応の終着として
所感記事全般を消す判断が良いと思う。

そうであるけれど、今回の観察の最中に発見した、この項目だけは
留めておくべきと判断。

「日顕宗よばわり」

元記事から転載・加筆。元記事・心理職に国家資格!「公認心理師」 その他諸々

Aさんは日顕宗みたい・・

該当ブログにコメント投稿し、相手さんの返答の中で、その発言を見た時に
具体的に「どういう部分?」と聞きたかったのですが、そもそもコメント投稿自体が
ヒヤヒヤもので・・退出したのですが、ひょんなことから、「真意」を発見しました。

>今まで うるさい事を 友人には言いすぎましたね
>私も 支配欲が強いです(笑)
>こうあるべき などと言うのは ちょっと古い 日顕宗思想でしたね
>私も なかなか 抜け切れませんでした
>もっと自由に ありのまま 私らしく これからも進んでいこうと思います
>そして 自分に正直でありたいです


なんだ、そういう理由だったの、普通、「日顕宗」みたいと言えば
ちょうど、大白蓮華7月号が、2級試験特集で「日顕宗を破す」で

日顕宗の大罪と邪義として
広宣流布の破壊
大聖人の教義に違背
人間を手段化する宗教との戦い・・・・

普通は、こういういことを思いますよね、だからとても不思議でしたね。
又、こんな発言もありました。

>Aさんは 考え方が 学会員じゃないって事
>先生の 考え方と 大きく離れていると思う
>まるで あれじゃ 日顕宗だよね
>ミイラ取りが ミイラになっちゃったのかな?
>たまに 正しいことも言うから 三流週刊誌みたいだと思っているけどね(笑)
>まぁ そういう人も 必要だよ
>反面教師として・・・

ここで、「先生の考え方」と、ありますが
先生が「日顕宗」の「極悪」についてどのようなご指導をされているのか知っているのでしょうか?

もし、先生の日顕宗の極悪についての指導を、少しでもわかっているのであれば
明らかに、日顕宗的、大邪義、大謗法を、Aさんご本人が発言した事実無くして
いとも簡単に「Aさんは、日顕宗みたい」
と、ノー天気に発言してしまうことは、決めつけた本人が明らかに悪の業因を積んでしまっていることに
なります。
本当に信頼関係のある「真の友人」を自認する方であれば忠告をしないといけないでしょうね。

もっとも、発言ご本人は、かねてからAさんに何かと煩いことを指摘されていて不愉快だから
という理由だけで、「日顕宗みたい」と日顕宗の信徒だと断言したわけではないですが
単に不愉快だからという理由に「日顕宗」を使ってしまうことの安易さ、
哀しいまでの無知、

煩いことを言われていやなら、嫌いなら、「煩いことを言うから嫌い」だけでいいはずです。

本日配達の8月17日付の創価新報に、久々に「脱講体験」が4題掲載されていました。
身近な創価学会員の日常からの誠実さが、脱講につながったのは言うまでもありません。
極悪からの離脱・・これがどれほど大きな意味を持つのか、その重大性が理解できて
いれば、安易に、日顕宗よばわりは、絶対にできないでありましょう。
極悪の因を確かに積んでしまいました、無知であろうと、因は因です。
さあ、身近で会った経験のある心ある方は、忠告してあげてください。
その結果、「おせっかい、やかないで、あんたとは、絶好よ」となっても、忠言した
善の行為は、確実に生命に刻印されていきます。


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by f2bmag8w | 2016-08-14 15:41 | Comments(0)

本日の聖教新聞には、日印の青年部幹部会への先生のメーセージ、
そして、随筆 永遠なれ創価の大城 被爆71年に誓う
が、それぞれ掲載されております。
お手元に聖教新聞があるでしょうから、転載はしませんが
日常の地道な学会活動全般こそが世界平和への最も確実な道であることは確かですね。

ツイッターは、自分が登録していなくてもロムはできます。
有益な情報発信者のツイッターは、しばしばロムします。
ちょっと、あらためてなるほどなというものがありました。

結局は、依正不二のことを言っているわけですが、喩えが巧みだなと
感じ入った次第です。

十界論に関係無い事は幸不幸に関係ない。
大事な事は君の境涯である
君の命だ。
自分の境涯がニ等車だったら隣に座った人もニ等車の客。
なんぼしゃんとした人が座ったとしてもニ等車の客に間違いない。
自分がグリーン車に乗っていれば、隣に座った人横の人もグリーン車の客。
これは物の道理
デパートに入り6階を歩く時は6階を歩いている人としか出会わない。
地下を歩いてる時は地下を歩いている人としか出会わない。
これが仏法なんです。
心の強い人は心の強い人と一緒になる。
福運のある人は福運のある人と一緒になる。
宿命の深い人は宿命の深い人と一緒になる。
これが仏法の道理。
分からない証拠に自分は二等車に乗りながら隣に座った人に一等車を求める。
あなたの眷属です。自分が二等車なら隣も前も全部二等車。
未熟な人は未熟な人を選ぶ、成熟した人は成熟した人を選ぶ。
これが仏法の道理です。
これだから自分が大事なんです、自分が変わる事が大事なんです。

これが全てですね。

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by f2bmag8w | 2016-08-11 22:29 | Comments(0)

世界第一の宝

聖教新聞8月16日
御書とともにⅡ・24

伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し(顕仏未来記508p)

同志への指針
後継を育てることは、未来を創ることだ。
学会の後継育成は、世界平和の種を植えることだ。
広布の人材が増えれば、地球上の悲惨を減らせる。
未来部の使命は、あまりにも大きい。
正法を伝持し、皆を照らす人は「国宝」ともいえる。
ならば、伝持の人を育てる人は「国宝」なり。
いな、「世界第一の宝」である。

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昨日、フジテレビの
「命あるかぎり戦え、そして生き抜くのだ」見ました。
パラオ共和国、ペリリュー島が舞台です。
詳細は書きませんので、興味ある方はご自分で調べて下さい。

あの時代、
部下を見捨て、自分が逃げてしまった上官もいたということですが
中川州男氏は、戦争の最中にあっても人間として部下に対しても、島民に対しても
尊敬される振る舞いであったということです。

でもどんなに人格者であったとしても
戦争に加担してしまうという選択しかできなかったわけですよね。
でも、あの時代に牢獄入り覚悟で、戦争反対を
叫ぶには相当な哲学的裏付けを持っていないと
できなかったことでしょうね。
例えば牧口先生の如く。
いかなる理由があろうが、「殺人」はノーであるとの哲学です。
自殺・堕胎・国家権力の殺人である「死刑」もノーとの哲学です。
その生命尊厳の根拠は、皆が仏であるからです。
広宣流布こそが、確実な世界平和への道であるのは言うまでもありません。

イスラエルとパレスチナ、古い時代からの確執の経緯等、ありますよね。
ゆっくり座って情報を得ることはなかなかできませんが
先日、運転中のラジオですが、中東問題の専門家の高橋和夫氏が
話していました。
イスラエルの今の政権もかなり過激ですが、
もし今の政権がイスラエル国民の要求をある程度満たす形での
行動をしないと、もっと過激な政権予備軍が控えているとのこと。
「落としどころ・解決策」について具体的に話していましたが
民衆はたまったもんではありません。
イスラエル・パレスチナ双方に地涌の菩薩が出現してこなければ
根本的な解決はありません。
今までの経緯を主張しあっては永久に平行線です。
しがらみを克服できるのは、宿命転換可能な日蓮仏法だけです。
個人的にも自分にとっての「パレスチナ問題」はありますよ。
もちろん、通常は命の危機とまではいきませんが、
双方どちらが絶対的に悪いのではなく、今までの経緯からの
しがらみ的なことですね、
日蓮仏法だけは、完璧な解決ができますね。
私もリアルで実践中です。
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「しがらみ」ということで、単独で記事を書きたいと思っていましたが
全て関連していますので、このまま続けます。

先生とモスクワ大学総長(対談当時)の対談の中で
インターネットに関して対話されている部分があります。
対談本発行は2004年です。
先生の発言部分をこの色で表示します。

タイトル・・・情報化の光と影
サブタイトル・・・電脳空間にない「しがらみ」が成長の糧になる

人間が生きているという実感をもつ、最初の場が家庭です。
これはバーチャル・リアリティとは対極をなします。

縁起の世界は宿命の有限性、個別性という側面をもつことを強調しておきたいと
思います。
日本人に生まれ、ロシア人に生まれるということも
男性に生まれ、女性に生まれるということも宿命です。
有限性、個別性の世界です。

自分がどのような家庭に生まれるか、つまり親を選べないという点で
自由に名を借りた人間の恣意、エゴイズムをどこかで抑制せざるを得ないという
ファクターがそこには宿命的に内在している。

宿命性とは人間が自由に操作できない、コントロールできない、選択できない
換言すれば、己の裁量が及ばないための自己の有限性を自覚せざるを得ないしがらみ
意味します。

確かにそのしがらみは時に煩わしくはあるが、反面古来から
人間の成長、人間が人間に成るためには、避けて通ることのできない
ハードルでもありました・

その点、いわゆる電脳空間には、宿命性のしがらみはほとんどありません。
バーチャル・リアリティーの世界では、誰と話そうと、
どんなサイトにアクセスしよとあるいは電源を切ってしまおうと自分のほしいまま
自由です。
好きなように都合のよいように操作しコントロールし選択できるのです。
しがらみの介在する余地はなく、したがって恣意がエゴイズムへの抑制機能は
はたらきにくい。
余程警戒していないと、現実からの逃避へと際限なくひきずられていってしまい、
その結果、人間同士での直接の打ち合いのなかでのみ可能な人格の陶冶が
なされなくなります。


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このしがらみについて私も最近かなり本気で取り組みました。
いままで、避けていたことでもありました。
本気で取り組まなければならない時というものが来るのですよね。

インターネットの空間は、あくまで情報ですよね。
人間的成長は、「しがらみ」による苦悩の克服なくしては無理ですよね。


話は変わりますが、
第3文明9月号
潮9月号、
例の閣議決定について、いろいろ書かれています。
又、WILL9月号、にも、山口代表のお話がタップリあります。

昨日の夜もNHKで「解釈改憲」とキャスターが得意そうに絶叫していましたが
「解釈改憲」ではなく、従来の解釈を「整理」したんですよね、
元内閣法制局長官の阪田雅裕氏は、従来の見解の「延長線上」という
言葉を使っています。

論理性ということが、とりわけ要求されますね。
抽象論はダメ、徹底的に具体論でと、
その点、木村草太氏の書いたものは、よくわかりますね。(潮9月号)

話があちこと飛びましたが、
久々に書いて見ました。
ロム者がものぐさだとイヤになりそうな記事です。
関心があれば、ご自分で、書籍なり雑誌なり情報は
自己責任でお願いしますということですので。

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by f2bmag8w | 2014-08-16 23:34 | Comments(13)